つぶやき ブログトップ
前の10件 | -

震災時の記録【6】 [つぶやき]

震災から早くも2か月が経ってしまった。
この記録も今回で終わりです。
かなり箇条書きですが…自分用の記録です。

**************************

3月15日のつづき

八方ふさがりになって泣いてたんだけど、
泣いてばかりじゃなにも始まらないと思い、
これまで連絡してなかった友人たちにメール。
「こちらは無事でライフラインもOKです。
不便ごとあればいつでも連絡ください」

その夜、ダンナの上司もお風呂を借りに来た。
そうだ、これからはできることをやっていこう。


3月16日

朝から雪がちらつく。
この日はツルハへ2回(購入制限があったので)とやまやにも寄った。
子どもを抱っこして両手に荷物、傘をさしていると
「荷物持ちましょうか?」と声をかけていただいた。
本当にありがたかった。

義兄家族用に飲料や離乳食、おむつなど購入する。
夕方、多賀城の義兄家族がお風呂と洗濯に来る。
でも義兄がすごい熱!
急きょ、中嶋病院に連れて行くと、インフルエンザとのこと。
完全にダウン。
義兄家の車に、ウチの車のガソリンを石油ポンプで移動する。
これで何日かは持つだろう。

3月17日

再び物資探索の旅へ。
この日はツルハが開店しなかったので、雪降る中バスで街中に出てみる。
アーケード内は暗いのに人がざわざわ。
みなちょっと地に足がついていない雰囲気で、開いている店に殺到する。
私もつられて、つい白松がモナカでモナカなぞ購入しちゃう。

アーケード内のドラッグストアでは赤ちゃん用品はすべて売り切れ。
ロフト後ろの薬局で義兄用にポカリの粉やカイロ、飲料など購入。
途中、前職の先輩とばったり会い、立ち話に。
なんと先輩がご懐妊という嬉しいニュース!
さっそく買ったモナカをおすそ分け。
妊婦にはたまに甘いものも必要だ。

郵便が再開したというので多賀城宛に物資を送る。
(でも届いたのは翌週の火曜日でした)


3月18日


金曜日。
また近所のやまやにでかける。
真空パックの魚が売られていた。
一個300円で割高だけど、この時期は大きなスーパーにかなり並んでしか
肉や魚は手に入らなかったから迷わず購入する。(美味しかった)

多賀城の義兄はまだインフルエンザでダウン中。
おじいちゃんおばあちゃんが給水に出かけていて疲れているし
3歳と1歳の子ども抱えてるしで義姉も疲れている様子。
ダンナの昼休みに相談すると、なんとダンナ、早退してきてくれた。
「非常事態だから、多賀城に物資届けに行こう」と。

さっそくまたツルハややまやで飲料や食料を買い足して、多賀城へ向かった。
多賀城や塩釜は街中でも泥だらけで倒壊した建物はあるし臭いもあった。
そしてガソリンスタンドはどこも長蛇の列だった。
義兄一家が身を寄せている義姉実家は高台にあるので
津波の被害はなかったが、食器がかなり割れてしまったという。
3歳の姪っ子に「おうちのしょっきわれなかった?」と何度も聞かれた。
そう、ウチは奇跡的に食器類はなにも壊れなかったので
「大丈夫だったよ」と答えると
「なんで?なんで?」「ずるいー」とかえってきた。
そしてこのやりとりは今でも時々している。

震災時、おばあちゃんと2人で買い物していたという姪っ子は
震災後、ママと片時も離れるのを嫌がったという。
そして余震のたびにぶるぶる震えていた、と。
子どものトラウマはどうやったら治せるのかな…

なんか怒涛の一週間だった。
そしてしばらくは金曜日の地震が起こった時間になると、
ちょっとだけびくびくしたり震えてたりした。

そのあとはダンナもインフルエンザになったりして
地震とはまた違う苦労もした。

これから何ができるんだろうと悩んだし
あのときああしていればと悔やんだりもした。

いまは普通の生活に戻ったけど、
変化したこともある。

これまでの生活に感謝しながら、
家族で支えあっていければいいなと思う。


作文みたいになったけど
これがウチの記録。
また普段のブログに戻ります。
あんまり更新できないけど…









nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

震災時の記録【5】 [つぶやき]

3月14日

月曜日。ダンナに弁当(といってもごはんのみ)を持たせて見送る。
9時近くに抱っこひもで近くの七十七銀行へ行く。
混んでるかな? と思いきや、すいてる。
みんなATMでおろしていたから。ちょっと拍子抜け。

食材は震災前のが少しあるので、子どもの分(やはりおむつが気になって)のため
上杉のツルハドラックに行ってみる。
列はなし。開店する告知も無し。
となりの「やまや」にすごい行列。
10時から開店らしい。
うーん、迷うけどその場を後にする。

今度は勝山公園のSEIYUに行く。
開店未定の張り紙があるも、スゴイ行列!
一瞬並ぼうか? 迷うも、ちょっと天気が良すぎて貧血気味になったため帰宅。

結局、この日は銀行でお金をおろしただけ。
なんだかどっと疲れてしまった。
テレビでは原発の話題で持ちきりに。
あれ? 地震のことはどうなった?

パソコンで情報収集。
mixiやtwitter、twitterは河北新報さんや夕刊河北、ふらっと、をフォローしてたらすごく役に立った。
mixiも震災関連コミュニティに区ごとの情報があって助かった。
メールや電話もつながるようになったけど、送る余裕がなかった。
きたものを返すだけで精いっぱい。
それから電気がきていない地区の友人に送れば、受信だけでも大変かな?と思って控えていた。

午後、仙台市内に住む昔っからの同級生がウチに来た。
彼女の街中に近いマンションもライフラインは復旧したそう。
ただ、友人のダンナさまが石巻で被災し、連絡が取れないでいた。
その友人は幼児と乳児を抱えて、ひどく落ち込んでいたとのこと。
おむつが足りないというので、ウチにあるおむつと離乳食のパックを持たせ、
さらに彼女と空いている店を探しに出かけた。

閉店前の柏木のダルマ薬局に駆け込む。
赤ちゃん用品ほか、ほとんどが品切れだった。
老人用おむつがまだあったので、それを買って少しでも代用してもらうことに。
(数日後、その友人のダンナさまは無事でほっとする)

その夜、多賀城の義兄から電話が入る。
そうとう疲れている様子。
4歳と1歳の娘たちと義姉の実家に身を寄せていた。
そこは電気はついたものの、水がまだとのこと。
近々お風呂に入らせてほしいが、ガソリンがなくて困ってるとのこと。
でも1歳の子は痒がって顔が赤くなっているとか…

あー! なんでこんな身近なところ気が付かなかったんだろう。
早く「ウチにきて」といえばよかった。
自分の想像力の足りなさにクヨクヨして眠れず。


3月15日

今日はちゃんと朝から行動しよう! と、9時過ぎに近くのまたツルハへ。
すでに近くのかたいたので、ちょっとお話。
震災当日、近所の八百屋は無料で野菜を配布した、とか
昨日のSEIYUは一人10点まで購入できて、お米も買えた、とか、
さすが情報いっぱい。

そこにツルハの店長さんが登場。
今日は開店しないとのこと。
諦めてまたSEIYUを目指すも、今日は開店しない様子??
ここで少し雨が降ってくる。
バスで街中にでようかな? と思っていると旦那から電話。
「テレビで雨に当たらないでって言ってるから、家に戻って」

しぶしぶと戻る。
ほんとだ。
テレビで原発事故で雨に当たるな、外出はできるだけするなという。
どうして。
どうして。
だってこれから必要なもの買いにいくよ。
なんで閉じ込めさせる?
わかっているけど
わかっているけど不条理さに泣けたよ。

初めて声を出して泣いたよ。
子どもみたいにわーんわーん、と。
子どもはニコニコ笑っていたよ。
母親に電話してみた。
「悔しくていま泣いてたんだ」
そういったら、
「子どもが不安になるから泣ぐな」

わかるよ、わかるけど悔しいじゃん。
でも思いっきり泣いたらすっきりしたよ。
いままでたまってたんだな。



子どもが起きたので
しつこいけどつづく







nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

震災時の記録【4】 [つぶやき]

子どもがパソコンに突進してくるので、なかなかパソコン開けない。。。

記録の続き。

*************************

3月12日

地震から一夜明け、被害がだんだん明らかに。
信じられない気持ちと、依然続く余震にびくびくしながら車の中で待機しました。
ダンナはいったん職場へと向かいました。
散乱した書類の片付けやら発電機の手配やらあったようです。


その間は引き続き車の中で、我が子と一緒に寝ていました。
昨晩は寝られなかったので、短かったけど深く眠りました。

3~4時間後、ダンナが戻ってきました。
電気はまだ復旧していません。
ダンナから泉区にあるダンナ実家に行ってみようと提案されました。
土日はいいけど、もし私と子ども2人だけだったら不安だから…ということで。

富谷町近くのダンナ実家は、その日電気が復旧していました。
でもお水はまだとのこと。
一晩お世話になりました。


3月13日

翌日、日曜日。
夜も余震がたくさんあったけど、やっぱり自宅に戻って明るいうちに片付けしたかったので帰宅することにしました。
車を走らせると、イオンが再開するというニュースがあったので、イオン渋滞が。
回り道をすると、ダイシンが開いているようだったので、迷わず行ってみました。
ここでは希望の生活用品が3点まで購入可能。
やはり店員さんに伝えて、店員さんが商品を探して持ってくるというやり方。
おつりがないのでざっくり計算でした。
おむつとトイレットペーパーを2000円で購入しました。
(高く取られたけどしょうがない。。。)


自宅に着くと、幸いなことに電気が復旧していました。
隣のかたに聞いてみると、昨晩21時30分頃に復旧したとのこと。
思ったより早くてびっくり。
でも水道も電気も恐る恐る使っていました。
家の片付けや掃除をし、また地震が来るかもしれないから
着替えや宿泊道具、非常食をまとめる作業をしました。
その間、ダンナはまた職場へ。


冷蔵庫は一日半止まっていたけど、大丈夫だろうと、
地震前に買っていた豚肉とほうれん草を使ってカレー(ほとんどスープ状)をつくりました。
このカレースープは2日半くらい持ちました。(食欲ないせいもあったけど)
おかずなしでもごはんが進むし。
ダンナが戻ってきて、夕食。

あとは何をしていたんだろう。
おぼえていません。
月曜日もダンナは通常通り出勤するので、月曜日にやることの確認。
・銀行に行ってお金をおろす(←ダンナらしい判断)
・スーパーが開いているか確認
・でもできるだけ家にいるように

このときは自分たちのことだけで精いっぱい。
というか、自分たちだけのことしか考えられなかったんだなぁ。
余震の多さで、情けないことに膝ががくがくしてたし、
常に緊張していたし、お腹は痛くなるし(OPP)
でも、この日だったかな?
母親と電話ではじめて話せて、無事だとわかったのは。



子が起きたので
つづく


00000
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

震災時の記録【3】 [つぶやき]

震災からあっという間の一か月…
と思ったら連日の余震で疲れますね。
まだまだ油断禁物です。。。


************************

記録の続き

3月11日

ダンナと子どもと一緒に車の中に避難し、様子を見ては家の中のものを取り出す作業。
地震発生から、それほど時間が経っていないかな?と思っていたら、
すでに2時間くらい経過していました。

合間をぬって両親に安否確認の電話やメールを送るも、つながらず。
仕事中だろうから、集団でいたほうが無事なんだろう…と願いました。
関東も揺れたので、逆に関東に住んでいる姉と甥っ子がケガなどしていないかと心配しました。

車の中のテレビで情報を得ていましたが、地震は続くし、震源地は南下するしで、
本当に「日本沈没」の映画みたくになるんじゃないか? と不安になりました。
この時はまだ、あんなに大きな津波が来たなんて、内陸部の私たちは分かりませんでした。

暗くなっても、余震、余震で、停電もしているから、家で寝るのを諦め、車で一晩過ごすことに決めました。
そして地震から5~6時間後たってから、地震直後に届くはずだったメールが続々届き始めました。
一番目は東京の友達。
二番目は母親から。「大丈夫?外に出たほうがいいよね」

あぁはじめの地震直後にくれたんだ。
母親はきっと無事だ。家に帰れたのだろうか?
まだまだ心配だけど、このメールを見てちょっとほっとしました。

そわそわは止まらないけど、ガソリンもったいないから、車のエンジンを消して
毛布にくるまって、子どもを抱っこして、たまにおっぱいあげながら寝ました。
といってもろくに眠れませんでした。
揺れるし、揺れてなくても揺れる気がするし、寒いし、不安だし、不安だし。


朝になりました。
幸い、ウチのアパートははじめから断水にはなっていませんでした。
電気はまだ止まっていました。
家に戻っていいのか? 車の中にいるべきか? 迷いました。
ちょうどおむつの買い置きがなくて、なくなったらどうしようか、
周りがどうなっているのか、気になりました。

ダンナに歩いて外に出てもらい、台原のドンキホーテまで行ってもらいました。
すると、すでに長蛇の列とのこと。
何が買えるかわからないけど、並んでもらいました。
一時間ぐらいして、ダンナが戻ってきました。
商品は100円均一で、欲しいものを店員に口頭で伝えて、
店員が取りに行ってくれるという仕組みのようで、
缶詰やお菓子、そしておむつ(バラ5枚)を買ってきてくれました。
家に昨日炊いたご飯があったので、揺れを警戒しつつ、タッパーに入れて持ってきて
買ってきた缶詰の焼き鳥をのせて、二人で分け合って食べました。
子どもはおっぱいだけで。

そのうちテレビで「荒浜に200~300人の遺体が打ちあがってる」と報道されました。
信じられませんでした。


子が起きたので

つづく













nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

震災時の記録【2】 [つぶやき]

3月11日、地震後、隣の奥さんのおかげで車の中に避難した私と我が子。
いつまでたっても余震は続く。
携帯のテレビを見ながら、様子を見ていました。


隣のご主人様は、その日は塩釜に仕事に行っていた。
その時は、まさかあんなに恐ろしい津波がくると思っていなかったから
もう電車はとまるだろうから、何で帰ってくるんだろう。
タクシーでも拾って帰れればいいね、と話していました。

大きくまだ揺れるなか、玄関を開けっぱなしにしておいたほうがいいのでは? と
隙を見てドアに傘を挟んでみたり、
隣の奥さんは、さらに隙を見て家に戻り、防寒着や荷物を持って来たり。


ちなみにウチのアパートはメゾネットタイプ。
二階部分が住居で、一階部分は駐車場と一階部分につながる階段です。
なので、たとえ家に戻っても、階段部分がつぶれたら終わりだ、という危機感がありました。
ウチの車もあったので「車のキー取ってきますか?」と隣の奥さんに言われたけど
やっぱり二階に行くのは怖かったし、私は無免許で車の扱いに不安があったので
「もうちょっと一緒にいさせてくださいー><」
「どうぞどうぞ」
すっかり甘えてしまいました。

車の中で待っていたら、しだいに大粒の雪が降り出し、
だけど空は明るくて、なんだか不思議な天気でした。
そして、一時間もしないうちでしょうか。
ウチのダンナが小走りで帰ってきました。
まさか隣の家の車に、妻と子どもがいるとはわからず、
心配な様子で家の中に入っていきました。
私も車から出て
「ここにいるよー、無事だよー」


血相変えたダンナを初めてみました。
子どもの顔を見て安心したようでした。
3人で隣の奥さんにお礼をいい、ウチも車の中で避難しようということになりました。
簡潔にお互いの今までの状況報告をし、しつこく揺れる余震にビクつきながら
今度はタイミングを見て家の中に入り、必要なものを取り出しておこうということにしました。
まず、ダンナが着替えのために中に入り、部屋の無事を確認すると
私も子どもをダンナに預けて家の中に入りました。
もともとモノが少ない我が家なので、それほど大きな被害もなく
少し散らばった雑貨をどかして、足場を確保しました。

本当に、いつ戻れるかわからないと思い、毛布と、ホワイトデーに用意していた焼き菓子の箱を持ち出しました。




子が起きたので
つづく

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

震災時の記録【1】 [つぶやき]

振り返るのはまだ早いのですが、3月11日、そしてそれ以降
どう過ごしていたか、どういう気持ちでいたか、
少しずつ書いていこうと思います。


***************************

3月11日(金)


前日、本当に久しぶりに、そして子連れでははじめて
せんだいメディアテーク内にある仙台市図書館を訪れました。
もっと早く利用すればよかった! と思えるほど穴場の場所で。


地震当日は、そのことをブログに書き、子におっぱいを飲ませて
膝に抱っこして寝せながら、ネットをポチポチとしてました。
すると、ギシギシ?ミシミシ?言いながら、大きくて長い横揺れの地震がやってきました。
2日前にも、割と大きな地震がきて、怖い思いをしたばかりでした。
地震が多い県とはいえ、これまで生きてきた中で一番強い! そして長い!


「あぁこれが本震なのかもしれない」
スグにそれを感じました。
私は部屋の天井を見ていました。
照明器具の上を避け、寝ている子を抱っこしながら中腰でじっとしていました。
NZの地震を思い出しました。
もしも天井の梁が落ちてきてぺちゃんこになってしまったら?
そのことが不安になりました。


第一波は去っても、まだ揺れは続き、間もなく揺れの第二波がきました。
テレビは揺れて映らなくなり、棚の写真立てが落ち、食器がガチャンと落ち、
これはいよいよヤバい、ここからは離れたほうがいい、と判断しました。


こんな日に限って、私はパジャマ同然の恰好でいてしまいました。
大きな揺れのなか、その上からパーカーをジーパンをはき、コートを着て
子どもには防寒着を着せ、バッグに財布と携帯、なぜかおむつ2つを入れて
とりあえず外に飛び出しました。


外は少し雪がチラついていました。
まだまだガタガタと揺れて、建物の中には戻れそうもありません。
とりあえず揺れが収まるまで、外にいようと思っていると、
隣の家の奥さんと息子さんが、アパートの前の駐車場で車の中に避難をしていました。
飛び出してきた私をみると、すぐに声をかけてくれました。
「大丈夫ですか? 寒いからウチの車で待っていませんか?」


ちょっと、いやすごく安心して涙が出そうになりました。
やっぱりひとりだと怖い。
「すみません、お願いします」
もともと、ご近所付き合いをしていたので、甘えてすぐに車に乗り込み
その中で奥さんと息子さん、私と子どもで、じっと揺れを収まるのを待ちました。


車の中にいてもわかるくらいの揺れは、分刻みに何度も何度もやってきました。
小学校低学年の息子さんは、風邪をひいていたので自宅にいて
この日はお母さんと一緒にいた、といいます。
学校にいたら、もっとお互い不安だっただろうね、
学校のみんなはもうすぐ帰宅時間だったのに大丈夫だったかな?
など、心配は尽きませんでした。
私は携帯のテレビを見て、「震度7」と報じられているのを知りました。
道路沿いには、ヘルメットをかぶる人、防災頭巾をかぶる子どもたちが
集団で移動し始めていました。


隣の奥さんも、とりあえず着の身着のまま出てきたと言って、
携帯も貴重品も持ち出していませんでした。
「携帯は必要!」
と、少し揺れが収まったところで、奥さんはアパートに戻り
携帯や貴重品、カイロなどを急いで持ってきました。
そんな間でも、揺れは続き、「何が起こっているんだろう」と
なかなか状況が呑み込めないでいました。


あ、子が起きてしまったので…
つづく




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

【震災後3】「震災ハイ」から抜けて… [つぶやき]

110325_162058.jpg

震災から2週間が過ぎました。
夜中の余震も少なくなり、だいぶ眠れるようになりました。

上の写真は25日の仙台駅。
ペデストリアンデッキは一部封鎖されています。
仙台駅のシンボルの時計の針も工事中でした。

この日はお昼すぎに、友人と会うため街中に出てみました。
クリスロードはだいぶお店が再開されてて、土日のような賑わい。
一部飲食店では、お弁当を販売していました。
ツルハ(2階がダイソー)脇で魚やお寿司を売る出店を発見。

・身が大きいししゃものパック200円
・辛子明太子300円
・さばのみりん干し2切れ300円


110325_151236.jpg


一番町で開催のマルシェジャポンには終了間近に駆け込み。

・たくさん入ったしそ巻2パック1500円→1000円におまけしてもらう
・たくさん入ったかぶ300円
・うどん麺3袋200円

を購入しました。

思いがけず、いろいろ買ってしまった。。。
ダンナの実家からも野菜や果物などおすそ分けしてもらったので
冷蔵庫は震災前より充実してるのでは?というくらいになってしまった。
(肉はないけども)


いまは買い物は「タイミング」が重要な気がして、
特に手に入りづらいものは、目についたときに迷わず買うようになってしまった。


ちなみに前の日の24日の行動はこう。
インフルエンザが落ち着き、帰宅したダンナのため
ちょっとでもボリュームある昼食を、と勝山の「西友」に行ってみる。
すると27日までお休みで28日から通常営業するという張り紙が。


しょうがない、と北四番丁方面を目指す。
たしか「かまどや」があったかな? と行ってみるも見つからず
11時開店直後の「ガスト」に行くと、
冷凍おかず全品500円、ハンバーグ弁当450円で販売していた。
もう迷わずハンバーグ弁当を注文。
少し時間がかかるというので『あとで取りに来ます』と言って
少し北にある「100円ローソン」の列に並ぶ。
1人10点までの購入制限なのでスポーツドリンク、冷食など購入。


その後「ガスト」に戻って弁当を受け取り、帰宅しようとしたら
今度は「ローソン」が11時30分に開店するとのこと。
並びが少なかったので、開店後即入店。
限られたものの中、パン、おにぎり、Lチキを購入。
卵も売っていた。
ちょっと出かけただけでちょうど必要なものが手に入って助かった。
買い物って「タイミング」が重要って思った。


震災後、飢餓感、というか喉が異様に乾く。
水道水をごくごく飲んでてしまった。それはそれで大丈夫だろうか?
いつも食べていたわけじゃないのに、パン屋さんの焼き立てパンが恋しくなる。
今の自分には贅沢だけど。


友人に、「いつも聞き役のniwaccoだけど震災直後に会ったらすごく饒舌になってびっくりした」と言われた。
確かに地震の2、3日後、いろんなことに奔走していて「震災ハイ」になってた。
そしてちょっと落ち着いた今は、なんだか「人間嫌い」になりそうな気がしてる。
気のせいだといいけど。


この2週間で人の行動や言動いろいろ見てしまって、
いろんなひとがいるなぁと思い知らされた。
いい意味でも、悪い意味でも。
震災っていろんなものを変えるんだね。
怖いね。


自分は見失わないでいたいよ。
うー、またずらずら書いてしまったよ。
土日はゆっくり休みます。




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

【震災後2】確実に復興してきています! [つぶやき]

昨日は非常にウツっぽい記事を書いてしまいましたが、
この三連休が明けて、物流が徐々に潤い始め、
仙台が急速に復興してきているのがわかります。


一時長蛇の列をなしたスーパーも、分散化。
野菜などはそれほど難なく手に入るようになりました。
牛乳>卵>ヨーグルトなどの乳製品>肉>魚>納豆>パン 
手に入りにくいのは、こんな順番でしょうか?


大手スーパーに少し並べば、もう手に入りますし、
むしろ近所の小売店のほうが、品ぞろえがいい場合もあります。


きょう(22日)14時ごろ、私は青葉区柏木近辺をうろうろしていましたが、
仙台フォーラムを少し北に行くと「ITO」という小さなスーパーがあり、
魚、納豆、豆腐、入荷したてのレタスなどを購入することができました。
卵もありました。
柏木生協では、さらに魚、おせんべいやチョコものの菓子を購入。
こちらも野菜がまだ豊富でした。


仙台市中心部ではもっと賑わいをなしていて、
飲食店も徐々に再開し、店頭でお弁当を販売しているそうです。
デパートも一部フロアが開店しているし、
本当に一歩一歩前に進んでいるんだなぁと感じます。 
きょうはその復興のスピードを肌で感じた一日でした。



振り返るのはまだ早いけど、
震災後は心のコントロールを保つのが難しい日々でした。
自分のウチのライフラインは早々と復旧したのに
なんでもっと早く周囲に助けの声をかけなかったのだろう、と。
「ウチで給水できるよ」「ウチでお風呂入れるよ」と。
たぶん一日半はロスしたと思います。
そういうことが悔やまれて、一睡もできない日がありました。
そして、その次の日は疲れすぎて眠りました。
そういう日々が続いたし、
いまだに「ああすればよかった、こうすればよかった」と思う毎日です。


そしていまだに毎日余震があります。
そのたびに緊張がはしります。
安眠できるのはいつになるんだろう。


とにかく震災に負けたくないよ。
一歩一歩前に進みたいです。
気持ちも。行動も。
私の仕事、
子どもを守り続けます。



nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

【震災後】大人も休息が必要です [つぶやき]

もうどこから話していいのやら…という感じですが、
3月11日の大震災から10日以上が経ちました。


幸い私のウチは仙台市街に近いほうなので、
早い時期からライフラインが復旧し、今は普段通りの生活に戻りつつあります。
スーパーやドラックストアも徒歩圏内。
食材は震災前の野菜のストックがまだあるし、
子どものモノ含め生活用品も、一度並んで手に入ったのでそれで足りています。


今はいまだ断水やガソリン切れで身動きが取れない親戚や友人の分の買い出しに行ったり、
ダンナの上司たちもウチにお風呂に入りにくるので、その対応したりで
毎日バタバタと過ごしています。


地震後、二、三日はやはり余震が怖くてじっとしてましたが、
しだいに店舗も再開しだして、動かなければ何も手に入らない→買い出し出かける→テレビで「放射能だから外出するな」と言われたときには、さすがに声を上げて泣いてしまいました。
生きるために食糧を求めて外に出るのにそれがダメとは…八方塞がりで。
でも開き直って今ではいろんな店と家を往復してます。


子連れで店に並んでると「荷物持ちましょうか」とか、
バスを待っていると「寒いから車の中で待ちませんか」とか声を掛けられて
人の優しさに触れています。


仙台の街中もだんだんと復興してますが「ちょっとお茶しよ」と
カフェに入ったりするのはいつになることやらという感じです。
(あ、もういくつかカフェが再開してるようですが、気持ち的に)


関東の皆さんもモノ不足になったり、計画停電を強いられたり、
CMが「ぽぽぽぽーん」だったりと不便があって、なんだか申し訳なく思います。


今回ネットも早くつながったので、twitterやmixiのリアルな書き込みがとても役立って、
またその情報を実家の母親や友人に伝えたりして、情報収集係をしていました。
ブログも早く再開したかったもですが、夜は体力温存&節電で早く寝てしまうため、
いまになりました。


【下記の内容を2、3日前に書きたかった】

タイトルに「大人も休息が必要です」と書きましたが、本当に心配しています。
私の親戚(義兄家)の場合ですが、先日まで断水のため、
昼は義父、義姉たちが給水の列に何時間も並び、ポリタンクに水をくみ
スーパーでは、限られた食材を求めてまた並びます。
そうやって得た水分や栄養分はもちろん子ども優先。
また義兄が運悪くインフルエンザにかかってしまったので、水分はもっと必要。
洗濯もできないので子どもたちは下着や洋服を表裏とっかえひっかえして着用。


あたりまえだけど、病人や子どもが優先だから、
動ける大人たちは毎日疲労困憊だけど、
翌日にはまた寒空の中、水や食料を得るための列に並ばなくてはならない。
義姉に会ったら、すっかり痩せて目はくぼみ、疲れ切っていました。
これでは危険。
そもそもの動き手が倒れてしまっては、一家共倒れしてしまう!
とにかく今はガソリン不足。ガソリンがあればいろいろ届けられるのに!
全国のみなさん、ガソリンください。
お願いします。
お願いします。


【ここまで、本当は早く伝えたかった】


…22日現在、義兄家にも水が出るようになって、だんだんと不便は解消。
でもまだまだ、ライフラインが復旧してない地域がたくさんあります。
みんな頑張っている、電気・水道・ガスの担当者、
避難所、病院、自衛隊、ボランティアの人たち、
そして生きるために行列に並ぶ私たち。
みんな、みんな、みんな


ぶっ倒れない程度に、
たまにはちょっとだけ休もう。


甘いかな?
状況わきまえないコメントかな?
ちょっとわけわかんなくなってきた。


わたしも疲れてきたのでもう寝ます。
ダンナにも義兄のインフルエンザが移ってしまいました。
今は私と子どもでお留守番。
インフルエンザ、流行らないように、気を付けましょう!
おやすみなさい!


※見直しても今日の記事は支離滅裂! ごめんなさい!






nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

娘も東方神起見てるー [つぶやき]

だんだんいたずらっ子になってきた我が子。
特にお気に入りはDVDのトレイの開け閉め!
バシバシ叩いたり直接カパカパ手を出したり~
なので、ちょくちょく急にDVDが流れる~。

110222_111758.jpg

この日はユノをガン見する我が子~。
刺激が強い(?)から、もうちょっと下がって見ようね。。。

早くカバー的なものを付けなくては。
コンセントやコード、パソコンのマウス、スリッパなどにも
どんどん突進していく~危険~。

そのたびに部屋の真ん中に戻して→危険区域までズリバイ→戻してのループ。
9キロ近くある我が子を持ってたら、なんだかグッタリ。
こりゃ体力使うわ。。。腰も痛くなるし。。。
これからの覚悟が必要だ><

そういえば4月に東京ドームで行われるSMタウンライブのエントリーをし忘れた。
まぁー行けないけど、エントリーだけはしてみたかったよ。
しかし、やっぱり乳幼児連れでライブは行けないよね。
野外なら大丈夫かもしれないけど、普通なら爆音で耳がおかしくなりそうだしね。
あたりまえかー。
行くときは誰かに預けるんだろうね。
でも今回はそこまでしていかなくてもいいやー。
またニュースで見ることにしよう。




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児
前の10件 | - つぶやき ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。