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ブログ引っ越しました。 [おしらせ]


ご無沙汰しています。

なかなかPCが開けられないのと、使い勝手の関係で

アメブロにまた新たにブログをスタートさせました。

仙台でのほほん子育て

といっても、そんなに更新できていませんが、

どうぞ遊びに来てくださいね。



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一歳半検診がこわい。。。 [1歳~1歳半]

DSCF9585.JPG

たまに広げて遊ぶ「いちご部屋」からこんにちは!

娘はもうすぐ一歳半。

ようやく、4、5歩あるけるようになりました。
でもまだまだ…。
一歳半検診まで間に合わないかも><

そして、私のことを「ママー」と言ってくれました。
いままでは全部「パパー」だったのに(涙)

ただいまアンパンマンブーム到来で、寝る間際までビデオをみています。
でもばいきんまんを見ても「アンパン!」と言います。
あとわかるのは「チーズ」くらいで、、、

アンパンマンミュージアムに連れて行くから早く歩いておくれ。


タグ:一歳半
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バーニャのパン [1歳~1歳半]

SBSH0102.JPG

昨日はベビーカーで近くをお散歩してみました。
秋風が吹いて、金木犀のいいかおり。
夏に堤雨宮通りにオープンした洋菓子とパンがある「杜のマドンナ」を目指していってみたら定休日でした。

だったら久しぶりに「バーニャのパン」にいってみよう!と。
店が小さいからいつも見逃しちゃうんだけど今回はすぐ発見。
サラリーマン2人組も入っていってました。
道路脇にベビーカーを置いて、子どもを抱っこして入店します。

天然酵母のパンはちょっと高い&固いけど、それはもう美味しいのよね。
主に自分用にパンを3個選んでお会計しようとしたら、お店のおばちゃんが「このこらいの子どもにはねーバタールを食べさせるといいのよお」と。

へー! でもさすがに固くないかしらと思って「何かに浸してですか?」と聞いたら、
「そのままで大丈夫よ」と、少し切って食べさせてくれました。

最初は「ん?」と身構えていた子もぱくっと一口。
意外とぱくぱくすんなり食べてくれました。 

「口の中で溶けるからいいのよ」とおばちゃん。
なるほどー。あごも鍛えられていい感じ!
さっそくバタールも購入。
しかも「切ってあげようか?」と言われ、半分と半分を縦長に切ってくれました。

さっそく家に帰って、切ったバタールをちぎって、子どもとムシャムシャ。
子どもも気に入ったようでバクバク食べてました。
これはいい!

バタールってはじめちょっと食べて、そのまま放置しちゃってガチガチにさせちゃってたけど、子どもの食事やおやつにしょっちゅう出せばいいのかも。
あぁ久しぶりに行ってよかった「バーニャのパン」。
またお散歩で行ってみよう!






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初☆動物園に行きました! [おでかけ]

DSCF9321.JPG

おじいちゃんとパチリ☆

先日は敬老の日~ということで、ダンナのお義父さん、お義母さんを誘って
八木山動物園に行ってきました!

我が子にとって初の動物園です。
まだ歩かないのでどうかな~と思ったけど、
入口からちょっといつもと違う雰囲気を察してかワクワク顔になっていました

おじいちゃんやダンナに抱っこされて動物を見て
まぁほぼ無反応だったけど^^;
ニオイとか、遠近感とか、感じ取ってくれたかな?…と、勝手に思っています。

…ていうか、ゾウの大きさ、サルの素早さ、豊かな表情のゴリラに、
大人のほうが夢中になって、久しぶりの動物園に、興奮しましたよ=3

今度はもうちょっと大きくなってから行こうねぇ。

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一歳の誕生日お祝い~ [すくすく]

5月25日に娘が一歳の誕生日を迎えました。
やっと?もう?
早い一年です。

ひな祭りに両家でお食事会をしたので
お誕生日はそんなに大げさにせず…
といっても義実家では一升餅を用意してもらったので
かついで→重くて(?)泣く~という儀式をし、
私の実家では「職業占い」なるをしてみたものの
辞書やお金、電卓などの小道具を持っては捨て、持っては捨て
最後はパパのもとへすがりにいきました^^;

25日は水曜日で平日だったので、ウチでささやかにお祝い。
(名前でちゃってるけど)

SBSH0005.JPG

水切りヨーグルトとホットケーキで作った誕生日ケーキと
焦げ焦げになってしまった「自称」リラックマハンバーグ。
(お目汚しすみません!)
すこし前からmixiを見てて、ママさんたちのまねっこ。
結局ケーキは食べてくれなくて、私がほとんど食べちゃいました。


産まれてから24時間365日ほぼ一緒の生活に
たまにプレッシャー(?)でしんどくなる時もあり、
今だけの喜びと思っておこうかな…と開き直ることもあり…。
とにかくこれからも大きな病気せずにすくすくと育ってほしいものです。

母が引きこもりがちなので密室育児になりがちだけど、
ちょっとずつ散歩に出かけようね~。
そして夜はあばれずにすぐ寝てください。(母の祈り)

110603_104126.jpg


<身長>73cm
<体重>8695g


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震災時の記録【6】 [つぶやき]

震災から早くも2か月が経ってしまった。
この記録も今回で終わりです。
かなり箇条書きですが…自分用の記録です。

**************************

3月15日のつづき

八方ふさがりになって泣いてたんだけど、
泣いてばかりじゃなにも始まらないと思い、
これまで連絡してなかった友人たちにメール。
「こちらは無事でライフラインもOKです。
不便ごとあればいつでも連絡ください」

その夜、ダンナの上司もお風呂を借りに来た。
そうだ、これからはできることをやっていこう。


3月16日

朝から雪がちらつく。
この日はツルハへ2回(購入制限があったので)とやまやにも寄った。
子どもを抱っこして両手に荷物、傘をさしていると
「荷物持ちましょうか?」と声をかけていただいた。
本当にありがたかった。

義兄家族用に飲料や離乳食、おむつなど購入する。
夕方、多賀城の義兄家族がお風呂と洗濯に来る。
でも義兄がすごい熱!
急きょ、中嶋病院に連れて行くと、インフルエンザとのこと。
完全にダウン。
義兄家の車に、ウチの車のガソリンを石油ポンプで移動する。
これで何日かは持つだろう。

3月17日

再び物資探索の旅へ。
この日はツルハが開店しなかったので、雪降る中バスで街中に出てみる。
アーケード内は暗いのに人がざわざわ。
みなちょっと地に足がついていない雰囲気で、開いている店に殺到する。
私もつられて、つい白松がモナカでモナカなぞ購入しちゃう。

アーケード内のドラッグストアでは赤ちゃん用品はすべて売り切れ。
ロフト後ろの薬局で義兄用にポカリの粉やカイロ、飲料など購入。
途中、前職の先輩とばったり会い、立ち話に。
なんと先輩がご懐妊という嬉しいニュース!
さっそく買ったモナカをおすそ分け。
妊婦にはたまに甘いものも必要だ。

郵便が再開したというので多賀城宛に物資を送る。
(でも届いたのは翌週の火曜日でした)


3月18日


金曜日。
また近所のやまやにでかける。
真空パックの魚が売られていた。
一個300円で割高だけど、この時期は大きなスーパーにかなり並んでしか
肉や魚は手に入らなかったから迷わず購入する。(美味しかった)

多賀城の義兄はまだインフルエンザでダウン中。
おじいちゃんおばあちゃんが給水に出かけていて疲れているし
3歳と1歳の子ども抱えてるしで義姉も疲れている様子。
ダンナの昼休みに相談すると、なんとダンナ、早退してきてくれた。
「非常事態だから、多賀城に物資届けに行こう」と。

さっそくまたツルハややまやで飲料や食料を買い足して、多賀城へ向かった。
多賀城や塩釜は街中でも泥だらけで倒壊した建物はあるし臭いもあった。
そしてガソリンスタンドはどこも長蛇の列だった。
義兄一家が身を寄せている義姉実家は高台にあるので
津波の被害はなかったが、食器がかなり割れてしまったという。
3歳の姪っ子に「おうちのしょっきわれなかった?」と何度も聞かれた。
そう、ウチは奇跡的に食器類はなにも壊れなかったので
「大丈夫だったよ」と答えると
「なんで?なんで?」「ずるいー」とかえってきた。
そしてこのやりとりは今でも時々している。

震災時、おばあちゃんと2人で買い物していたという姪っ子は
震災後、ママと片時も離れるのを嫌がったという。
そして余震のたびにぶるぶる震えていた、と。
子どものトラウマはどうやったら治せるのかな…

なんか怒涛の一週間だった。
そしてしばらくは金曜日の地震が起こった時間になると、
ちょっとだけびくびくしたり震えてたりした。

そのあとはダンナもインフルエンザになったりして
地震とはまた違う苦労もした。

これから何ができるんだろうと悩んだし
あのときああしていればと悔やんだりもした。

いまは普通の生活に戻ったけど、
変化したこともある。

これまでの生活に感謝しながら、
家族で支えあっていければいいなと思う。


作文みたいになったけど
これがウチの記録。
また普段のブログに戻ります。
あんまり更新できないけど…









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震災時の記録【5】 [つぶやき]

3月14日

月曜日。ダンナに弁当(といってもごはんのみ)を持たせて見送る。
9時近くに抱っこひもで近くの七十七銀行へ行く。
混んでるかな? と思いきや、すいてる。
みんなATMでおろしていたから。ちょっと拍子抜け。

食材は震災前のが少しあるので、子どもの分(やはりおむつが気になって)のため
上杉のツルハドラックに行ってみる。
列はなし。開店する告知も無し。
となりの「やまや」にすごい行列。
10時から開店らしい。
うーん、迷うけどその場を後にする。

今度は勝山公園のSEIYUに行く。
開店未定の張り紙があるも、スゴイ行列!
一瞬並ぼうか? 迷うも、ちょっと天気が良すぎて貧血気味になったため帰宅。

結局、この日は銀行でお金をおろしただけ。
なんだかどっと疲れてしまった。
テレビでは原発の話題で持ちきりに。
あれ? 地震のことはどうなった?

パソコンで情報収集。
mixiやtwitter、twitterは河北新報さんや夕刊河北、ふらっと、をフォローしてたらすごく役に立った。
mixiも震災関連コミュニティに区ごとの情報があって助かった。
メールや電話もつながるようになったけど、送る余裕がなかった。
きたものを返すだけで精いっぱい。
それから電気がきていない地区の友人に送れば、受信だけでも大変かな?と思って控えていた。

午後、仙台市内に住む昔っからの同級生がウチに来た。
彼女の街中に近いマンションもライフラインは復旧したそう。
ただ、友人のダンナさまが石巻で被災し、連絡が取れないでいた。
その友人は幼児と乳児を抱えて、ひどく落ち込んでいたとのこと。
おむつが足りないというので、ウチにあるおむつと離乳食のパックを持たせ、
さらに彼女と空いている店を探しに出かけた。

閉店前の柏木のダルマ薬局に駆け込む。
赤ちゃん用品ほか、ほとんどが品切れだった。
老人用おむつがまだあったので、それを買って少しでも代用してもらうことに。
(数日後、その友人のダンナさまは無事でほっとする)

その夜、多賀城の義兄から電話が入る。
そうとう疲れている様子。
4歳と1歳の娘たちと義姉の実家に身を寄せていた。
そこは電気はついたものの、水がまだとのこと。
近々お風呂に入らせてほしいが、ガソリンがなくて困ってるとのこと。
でも1歳の子は痒がって顔が赤くなっているとか…

あー! なんでこんな身近なところ気が付かなかったんだろう。
早く「ウチにきて」といえばよかった。
自分の想像力の足りなさにクヨクヨして眠れず。


3月15日

今日はちゃんと朝から行動しよう! と、9時過ぎに近くのまたツルハへ。
すでに近くのかたいたので、ちょっとお話。
震災当日、近所の八百屋は無料で野菜を配布した、とか
昨日のSEIYUは一人10点まで購入できて、お米も買えた、とか、
さすが情報いっぱい。

そこにツルハの店長さんが登場。
今日は開店しないとのこと。
諦めてまたSEIYUを目指すも、今日は開店しない様子??
ここで少し雨が降ってくる。
バスで街中にでようかな? と思っていると旦那から電話。
「テレビで雨に当たらないでって言ってるから、家に戻って」

しぶしぶと戻る。
ほんとだ。
テレビで原発事故で雨に当たるな、外出はできるだけするなという。
どうして。
どうして。
だってこれから必要なもの買いにいくよ。
なんで閉じ込めさせる?
わかっているけど
わかっているけど不条理さに泣けたよ。

初めて声を出して泣いたよ。
子どもみたいにわーんわーん、と。
子どもはニコニコ笑っていたよ。
母親に電話してみた。
「悔しくていま泣いてたんだ」
そういったら、
「子どもが不安になるから泣ぐな」

わかるよ、わかるけど悔しいじゃん。
でも思いっきり泣いたらすっきりしたよ。
いままでたまってたんだな。



子どもが起きたので
しつこいけどつづく







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震災時の記録【4】 [つぶやき]

子どもがパソコンに突進してくるので、なかなかパソコン開けない。。。

記録の続き。

*************************

3月12日

地震から一夜明け、被害がだんだん明らかに。
信じられない気持ちと、依然続く余震にびくびくしながら車の中で待機しました。
ダンナはいったん職場へと向かいました。
散乱した書類の片付けやら発電機の手配やらあったようです。


その間は引き続き車の中で、我が子と一緒に寝ていました。
昨晩は寝られなかったので、短かったけど深く眠りました。

3~4時間後、ダンナが戻ってきました。
電気はまだ復旧していません。
ダンナから泉区にあるダンナ実家に行ってみようと提案されました。
土日はいいけど、もし私と子ども2人だけだったら不安だから…ということで。

富谷町近くのダンナ実家は、その日電気が復旧していました。
でもお水はまだとのこと。
一晩お世話になりました。


3月13日

翌日、日曜日。
夜も余震がたくさんあったけど、やっぱり自宅に戻って明るいうちに片付けしたかったので帰宅することにしました。
車を走らせると、イオンが再開するというニュースがあったので、イオン渋滞が。
回り道をすると、ダイシンが開いているようだったので、迷わず行ってみました。
ここでは希望の生活用品が3点まで購入可能。
やはり店員さんに伝えて、店員さんが商品を探して持ってくるというやり方。
おつりがないのでざっくり計算でした。
おむつとトイレットペーパーを2000円で購入しました。
(高く取られたけどしょうがない。。。)


自宅に着くと、幸いなことに電気が復旧していました。
隣のかたに聞いてみると、昨晩21時30分頃に復旧したとのこと。
思ったより早くてびっくり。
でも水道も電気も恐る恐る使っていました。
家の片付けや掃除をし、また地震が来るかもしれないから
着替えや宿泊道具、非常食をまとめる作業をしました。
その間、ダンナはまた職場へ。


冷蔵庫は一日半止まっていたけど、大丈夫だろうと、
地震前に買っていた豚肉とほうれん草を使ってカレー(ほとんどスープ状)をつくりました。
このカレースープは2日半くらい持ちました。(食欲ないせいもあったけど)
おかずなしでもごはんが進むし。
ダンナが戻ってきて、夕食。

あとは何をしていたんだろう。
おぼえていません。
月曜日もダンナは通常通り出勤するので、月曜日にやることの確認。
・銀行に行ってお金をおろす(←ダンナらしい判断)
・スーパーが開いているか確認
・でもできるだけ家にいるように

このときは自分たちのことだけで精いっぱい。
というか、自分たちだけのことしか考えられなかったんだなぁ。
余震の多さで、情けないことに膝ががくがくしてたし、
常に緊張していたし、お腹は痛くなるし(OPP)
でも、この日だったかな?
母親と電話ではじめて話せて、無事だとわかったのは。



子が起きたので
つづく


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震災時の記録【3】 [つぶやき]

震災からあっという間の一か月…
と思ったら連日の余震で疲れますね。
まだまだ油断禁物です。。。


************************

記録の続き

3月11日

ダンナと子どもと一緒に車の中に避難し、様子を見ては家の中のものを取り出す作業。
地震発生から、それほど時間が経っていないかな?と思っていたら、
すでに2時間くらい経過していました。

合間をぬって両親に安否確認の電話やメールを送るも、つながらず。
仕事中だろうから、集団でいたほうが無事なんだろう…と願いました。
関東も揺れたので、逆に関東に住んでいる姉と甥っ子がケガなどしていないかと心配しました。

車の中のテレビで情報を得ていましたが、地震は続くし、震源地は南下するしで、
本当に「日本沈没」の映画みたくになるんじゃないか? と不安になりました。
この時はまだ、あんなに大きな津波が来たなんて、内陸部の私たちは分かりませんでした。

暗くなっても、余震、余震で、停電もしているから、家で寝るのを諦め、車で一晩過ごすことに決めました。
そして地震から5~6時間後たってから、地震直後に届くはずだったメールが続々届き始めました。
一番目は東京の友達。
二番目は母親から。「大丈夫?外に出たほうがいいよね」

あぁはじめの地震直後にくれたんだ。
母親はきっと無事だ。家に帰れたのだろうか?
まだまだ心配だけど、このメールを見てちょっとほっとしました。

そわそわは止まらないけど、ガソリンもったいないから、車のエンジンを消して
毛布にくるまって、子どもを抱っこして、たまにおっぱいあげながら寝ました。
といってもろくに眠れませんでした。
揺れるし、揺れてなくても揺れる気がするし、寒いし、不安だし、不安だし。


朝になりました。
幸い、ウチのアパートははじめから断水にはなっていませんでした。
電気はまだ止まっていました。
家に戻っていいのか? 車の中にいるべきか? 迷いました。
ちょうどおむつの買い置きがなくて、なくなったらどうしようか、
周りがどうなっているのか、気になりました。

ダンナに歩いて外に出てもらい、台原のドンキホーテまで行ってもらいました。
すると、すでに長蛇の列とのこと。
何が買えるかわからないけど、並んでもらいました。
一時間ぐらいして、ダンナが戻ってきました。
商品は100円均一で、欲しいものを店員に口頭で伝えて、
店員が取りに行ってくれるという仕組みのようで、
缶詰やお菓子、そしておむつ(バラ5枚)を買ってきてくれました。
家に昨日炊いたご飯があったので、揺れを警戒しつつ、タッパーに入れて持ってきて
買ってきた缶詰の焼き鳥をのせて、二人で分け合って食べました。
子どもはおっぱいだけで。

そのうちテレビで「荒浜に200~300人の遺体が打ちあがってる」と報道されました。
信じられませんでした。


子が起きたので

つづく













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震災時の記録【2】 [つぶやき]

3月11日、地震後、隣の奥さんのおかげで車の中に避難した私と我が子。
いつまでたっても余震は続く。
携帯のテレビを見ながら、様子を見ていました。


隣のご主人様は、その日は塩釜に仕事に行っていた。
その時は、まさかあんなに恐ろしい津波がくると思っていなかったから
もう電車はとまるだろうから、何で帰ってくるんだろう。
タクシーでも拾って帰れればいいね、と話していました。

大きくまだ揺れるなか、玄関を開けっぱなしにしておいたほうがいいのでは? と
隙を見てドアに傘を挟んでみたり、
隣の奥さんは、さらに隙を見て家に戻り、防寒着や荷物を持って来たり。


ちなみにウチのアパートはメゾネットタイプ。
二階部分が住居で、一階部分は駐車場と一階部分につながる階段です。
なので、たとえ家に戻っても、階段部分がつぶれたら終わりだ、という危機感がありました。
ウチの車もあったので「車のキー取ってきますか?」と隣の奥さんに言われたけど
やっぱり二階に行くのは怖かったし、私は無免許で車の扱いに不安があったので
「もうちょっと一緒にいさせてくださいー><」
「どうぞどうぞ」
すっかり甘えてしまいました。

車の中で待っていたら、しだいに大粒の雪が降り出し、
だけど空は明るくて、なんだか不思議な天気でした。
そして、一時間もしないうちでしょうか。
ウチのダンナが小走りで帰ってきました。
まさか隣の家の車に、妻と子どもがいるとはわからず、
心配な様子で家の中に入っていきました。
私も車から出て
「ここにいるよー、無事だよー」


血相変えたダンナを初めてみました。
子どもの顔を見て安心したようでした。
3人で隣の奥さんにお礼をいい、ウチも車の中で避難しようということになりました。
簡潔にお互いの今までの状況報告をし、しつこく揺れる余震にビクつきながら
今度はタイミングを見て家の中に入り、必要なものを取り出しておこうということにしました。
まず、ダンナが着替えのために中に入り、部屋の無事を確認すると
私も子どもをダンナに預けて家の中に入りました。
もともとモノが少ない我が家なので、それほど大きな被害もなく
少し散らばった雑貨をどかして、足場を確保しました。

本当に、いつ戻れるかわからないと思い、毛布と、ホワイトデーに用意していた焼き菓子の箱を持ち出しました。




子が起きたので
つづく

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