震災時の記録【2】 [つぶやき]

3月11日、地震後、隣の奥さんのおかげで車の中に避難した私と我が子。
いつまでたっても余震は続く。
携帯のテレビを見ながら、様子を見ていました。


隣のご主人様は、その日は塩釜に仕事に行っていた。
その時は、まさかあんなに恐ろしい津波がくると思っていなかったから
もう電車はとまるだろうから、何で帰ってくるんだろう。
タクシーでも拾って帰れればいいね、と話していました。

大きくまだ揺れるなか、玄関を開けっぱなしにしておいたほうがいいのでは? と
隙を見てドアに傘を挟んでみたり、
隣の奥さんは、さらに隙を見て家に戻り、防寒着や荷物を持って来たり。


ちなみにウチのアパートはメゾネットタイプ。
二階部分が住居で、一階部分は駐車場と一階部分につながる階段です。
なので、たとえ家に戻っても、階段部分がつぶれたら終わりだ、という危機感がありました。
ウチの車もあったので「車のキー取ってきますか?」と隣の奥さんに言われたけど
やっぱり二階に行くのは怖かったし、私は無免許で車の扱いに不安があったので
「もうちょっと一緒にいさせてくださいー><」
「どうぞどうぞ」
すっかり甘えてしまいました。

車の中で待っていたら、しだいに大粒の雪が降り出し、
だけど空は明るくて、なんだか不思議な天気でした。
そして、一時間もしないうちでしょうか。
ウチのダンナが小走りで帰ってきました。
まさか隣の家の車に、妻と子どもがいるとはわからず、
心配な様子で家の中に入っていきました。
私も車から出て
「ここにいるよー、無事だよー」


血相変えたダンナを初めてみました。
子どもの顔を見て安心したようでした。
3人で隣の奥さんにお礼をいい、ウチも車の中で避難しようということになりました。
簡潔にお互いの今までの状況報告をし、しつこく揺れる余震にビクつきながら
今度はタイミングを見て家の中に入り、必要なものを取り出しておこうということにしました。
まず、ダンナが着替えのために中に入り、部屋の無事を確認すると
私も子どもをダンナに預けて家の中に入りました。
もともとモノが少ない我が家なので、それほど大きな被害もなく
少し散らばった雑貨をどかして、足場を確保しました。

本当に、いつ戻れるかわからないと思い、毛布と、ホワイトデーに用意していた焼き菓子の箱を持ち出しました。




子が起きたので
つづく

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