震災時の記録【1】 [つぶやき]

振り返るのはまだ早いのですが、3月11日、そしてそれ以降
どう過ごしていたか、どういう気持ちでいたか、
少しずつ書いていこうと思います。


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3月11日(金)


前日、本当に久しぶりに、そして子連れでははじめて
せんだいメディアテーク内にある仙台市図書館を訪れました。
もっと早く利用すればよかった! と思えるほど穴場の場所で。


地震当日は、そのことをブログに書き、子におっぱいを飲ませて
膝に抱っこして寝せながら、ネットをポチポチとしてました。
すると、ギシギシ?ミシミシ?言いながら、大きくて長い横揺れの地震がやってきました。
2日前にも、割と大きな地震がきて、怖い思いをしたばかりでした。
地震が多い県とはいえ、これまで生きてきた中で一番強い! そして長い!


「あぁこれが本震なのかもしれない」
スグにそれを感じました。
私は部屋の天井を見ていました。
照明器具の上を避け、寝ている子を抱っこしながら中腰でじっとしていました。
NZの地震を思い出しました。
もしも天井の梁が落ちてきてぺちゃんこになってしまったら?
そのことが不安になりました。


第一波は去っても、まだ揺れは続き、間もなく揺れの第二波がきました。
テレビは揺れて映らなくなり、棚の写真立てが落ち、食器がガチャンと落ち、
これはいよいよヤバい、ここからは離れたほうがいい、と判断しました。


こんな日に限って、私はパジャマ同然の恰好でいてしまいました。
大きな揺れのなか、その上からパーカーをジーパンをはき、コートを着て
子どもには防寒着を着せ、バッグに財布と携帯、なぜかおむつ2つを入れて
とりあえず外に飛び出しました。


外は少し雪がチラついていました。
まだまだガタガタと揺れて、建物の中には戻れそうもありません。
とりあえず揺れが収まるまで、外にいようと思っていると、
隣の家の奥さんと息子さんが、アパートの前の駐車場で車の中に避難をしていました。
飛び出してきた私をみると、すぐに声をかけてくれました。
「大丈夫ですか? 寒いからウチの車で待っていませんか?」


ちょっと、いやすごく安心して涙が出そうになりました。
やっぱりひとりだと怖い。
「すみません、お願いします」
もともと、ご近所付き合いをしていたので、甘えてすぐに車に乗り込み
その中で奥さんと息子さん、私と子どもで、じっと揺れを収まるのを待ちました。


車の中にいてもわかるくらいの揺れは、分刻みに何度も何度もやってきました。
小学校低学年の息子さんは、風邪をひいていたので自宅にいて
この日はお母さんと一緒にいた、といいます。
学校にいたら、もっとお互い不安だっただろうね、
学校のみんなはもうすぐ帰宅時間だったのに大丈夫だったかな?
など、心配は尽きませんでした。
私は携帯のテレビを見て、「震度7」と報じられているのを知りました。
道路沿いには、ヘルメットをかぶる人、防災頭巾をかぶる子どもたちが
集団で移動し始めていました。


隣の奥さんも、とりあえず着の身着のまま出てきたと言って、
携帯も貴重品も持ち出していませんでした。
「携帯は必要!」
と、少し揺れが収まったところで、奥さんはアパートに戻り
携帯や貴重品、カイロなどを急いで持ってきました。
そんな間でも、揺れは続き、「何が起こっているんだろう」と
なかなか状況が呑み込めないでいました。


あ、子が起きてしまったので…
つづく




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