震災時の記録【4】 [つぶやき]

子どもがパソコンに突進してくるので、なかなかパソコン開けない。。。

記録の続き。

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3月12日

地震から一夜明け、被害がだんだん明らかに。
信じられない気持ちと、依然続く余震にびくびくしながら車の中で待機しました。
ダンナはいったん職場へと向かいました。
散乱した書類の片付けやら発電機の手配やらあったようです。


その間は引き続き車の中で、我が子と一緒に寝ていました。
昨晩は寝られなかったので、短かったけど深く眠りました。

3~4時間後、ダンナが戻ってきました。
電気はまだ復旧していません。
ダンナから泉区にあるダンナ実家に行ってみようと提案されました。
土日はいいけど、もし私と子ども2人だけだったら不安だから…ということで。

富谷町近くのダンナ実家は、その日電気が復旧していました。
でもお水はまだとのこと。
一晩お世話になりました。


3月13日

翌日、日曜日。
夜も余震がたくさんあったけど、やっぱり自宅に戻って明るいうちに片付けしたかったので帰宅することにしました。
車を走らせると、イオンが再開するというニュースがあったので、イオン渋滞が。
回り道をすると、ダイシンが開いているようだったので、迷わず行ってみました。
ここでは希望の生活用品が3点まで購入可能。
やはり店員さんに伝えて、店員さんが商品を探して持ってくるというやり方。
おつりがないのでざっくり計算でした。
おむつとトイレットペーパーを2000円で購入しました。
(高く取られたけどしょうがない。。。)


自宅に着くと、幸いなことに電気が復旧していました。
隣のかたに聞いてみると、昨晩21時30分頃に復旧したとのこと。
思ったより早くてびっくり。
でも水道も電気も恐る恐る使っていました。
家の片付けや掃除をし、また地震が来るかもしれないから
着替えや宿泊道具、非常食をまとめる作業をしました。
その間、ダンナはまた職場へ。


冷蔵庫は一日半止まっていたけど、大丈夫だろうと、
地震前に買っていた豚肉とほうれん草を使ってカレー(ほとんどスープ状)をつくりました。
このカレースープは2日半くらい持ちました。(食欲ないせいもあったけど)
おかずなしでもごはんが進むし。
ダンナが戻ってきて、夕食。

あとは何をしていたんだろう。
おぼえていません。
月曜日もダンナは通常通り出勤するので、月曜日にやることの確認。
・銀行に行ってお金をおろす(←ダンナらしい判断)
・スーパーが開いているか確認
・でもできるだけ家にいるように

このときは自分たちのことだけで精いっぱい。
というか、自分たちだけのことしか考えられなかったんだなぁ。
余震の多さで、情けないことに膝ががくがくしてたし、
常に緊張していたし、お腹は痛くなるし(OPP)
でも、この日だったかな?
母親と電話ではじめて話せて、無事だとわかったのは。



子が起きたので
つづく


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